sense of wonder
私の住んでいる市内に、元々、北海道で展開していたらしい居酒屋のチェーン店があり、現在は関東でも展開している。
豊富な種類の焼き鳥や、空揚げが美味しい店だ。
ちょっと話は逸れて、日本というと電車やバスの時刻が正確なので有名だ。それに限らず、PC等を屈しし、与えられた仕事をきちんと間違いなくこなすことが求められる。
もちろん、そういったことによる恩恵は計り知れず、すくなからず我々からイライラ感を取り除いてくれたり、重大事故を防いでくれたり、仕事のノーリツをupしてくれたりと良いことづくめにも見えるのだが・・・。「人間がやってることだから」とか、「またかい?しょうがないか」ということは、交通機関でも会社でもタブーとなった。
もちろん、時と場合に依るところが大きいが、社会全体の流れが少しのミスも許さない方向に向かっているようで何か非人間的な感覚を覚えると同時に、いつの間にか息苦しい日常になったとも言える。
そこで、冒頭に書いた居酒屋である。
居酒屋では、注文にたいし正確に手早く客に持ってくることが求められる。
が、しかしである。
ここの居酒屋のとある姉さんは、ときどきやらかしてくれるのである。
例えば、「ウーロン杯」というと「ウィスキーのダブル」を持って来て、はいどうぞ!
という具合である。最初に店に行ったときは、たまたま間違えたのかな。と思ったが、2回目、3回目に行っても、何かしら注文と違うものを、持ってくるのだ。
タイミング的には、多少酔いが回ってきた時が多い。
最初は注文と違うと、頼みなおしていたのだが、ある時を境に「どうれ、今日はどう来る」間違った注文を受け入れるようになった。これが、わたしには小さなsense of wonderとなり、店に行く楽しみの一つになった。
最近、かぜの便りにきくと、彼女は店に居なくなったらしい。
もし客からのクレームでと思うと、少し残念な気がする。
あの店には、貴重な存在だったのに。
今、彼女は何処…。