忘れないと誓ったぼくがいた
ネタバレ少しあります。
これから、見ようという方はご注意ください。
「忘れないと誓ったぼくがいた」
レンタルで、この映画を見て非常に切ない想いになりました。
多分、劇場などで見られた方も同じような気持ちになったのではないでしょうか。
主人公の織部あずさ(早見あかり)は、出会った人どころか家族からもすぐに忘れられてしまうという、とても不思議な女子高生として描かれます。
出会いは何気ないのですが、その後の展開が見ている者の胸を苦しめます。
好きになった人のことを、忘れてしまう。こんな悲しいことがあるでしょうか。
葉山たかしは同じクラスの生徒と催したキャンプに織部あずさを呼んだり、家族に会わせたりしますが、キャンプに参加した同級生の子には、クラスにあなたなどいなと、嘘つき呼ばわりされ、会わせて夕食まで共にした自分の家族もすぐに、織部あずさを忘れてしまいます。
葉山たかしは、自分だけは彼女のことを絶対に忘れないようにしようと壁に織部あずさの写真を張ったり、けなげに努力するのですが、最後の最後で忘れてしまうのです。
しかし、偶然みつけた彼女の写真により、自分が彼女を忘れる寸前まで、話をしていた彼女自身が、だれあろう織部あずさだということに気づき、街の中を彼女の名を呼びながら、ひたすら走り泣きながら追いかけます。
この映画で一番監督が言いたかったことは何なのか?
それは、自分という人間が他人や家族、もちろん恋人の記憶に生きられることは、決してあたりまえのことではなく、素晴らしいことだということだ、ということではないでしょうか?
理屈はそういうことだと思うのですが、とにかく人の記憶からすぐに忘れられてしまう織部あずさが、非常に儚くみえて見ていて辛くなります。不思議なことに、そういう感情と同時に美しさが際立っていたと思います。
独断と偏見あり、で映画の感想を書きましたが、もし興味があったらお勧めの映画です。