梅雨明け
遊びをせんとや生れけむ
戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声聞けば
わが身さへこそゆるがるれ
-梁塵秘抄-
俵 万智さんの解釈では、
-遊びをしようとこの世に生まれてきたのだろうか――という問いかけには、何のために生まれてきたのかわからない、という純粋な疑問と、いいやそうじゃないはずだ、という複雑な反語とが、微妙に混ざっている。
そして遊んでいる子供の声を聞くと、なおその思いが深く胸を去来する。追いかけっこをしたり、勝ち負けを争ったり、歌をうたったり……子供の遊んでいる姿を見ていると、人生とは結局この繰り返しなのではないか、と思われてくる。-
僕の解釈は、少し違うのですが、上手く言葉として表現できない・・・
ただ、『遊び』の部分が所謂遊びというより、意味がもっと深いような気がするのですが。